私の夢は、毎日着物を着ることでした。
サザエさんのお母さん、おフネさんのように
割烹着を着て生活するのに憧れて、小料理屋の女将のような白い割烹着も買いました。
そして現在、
毎日着物を着る時間はあるのですが
毎日着物を着ているのか、というと、、、
いいえ。着ていません。。
大半を洋服で過ごしています。
割烹着などの着物で過ごす準備は一応整っているのですが、やはり動きにくいです(*´Д`)
昔の人は、着物しかなかったので、
着付けも、洗い張りも、仕立てなおしも、
当たり前のようにできたのでしょう。
しかし、ものごころついた時から洋服を着用し
中学・高校の制服も洋服。
社会人になっても、男女ともにスーツ着用がマナーの現代。
やはり普段着は洋服が多くなります。
では、いつから日本では
着物よりも洋服が主流になったのでしょうか。
洋服が普及するまで
明治政府の欧化政策により、 洋服着用が推奨されました。
大正時代にサラリーマン層が成立すると、「洋装にネクタイ」が多くの働く男性の主流となります。
一方、女性の洋装化は、男性よりも遅れます。
華族などの上流階級では、鹿鳴館の舞踏会で着用されましたが、限られた身分の着飾るための衣服でした。
大正時代に入ると、大正デモクラシーでモダン・ガール(モガ)や、バスの女車掌などの職業婦人が洋服を着用しました。
当時の働く女性はカッコよく見えたことでしょう。
昭和にはいり、太平洋戦争の影響で物資欠乏による衣服の統制があり、和服を作り変えたもんぺを着用するようになりました。
まだ主流は和服です。
敗戦後、 食料などと同様に衣料品も不足したため、 アメリカなど連合国からの援助に頼ることになったのですが、GHQから支給される古着を通して、洋服が流通しました。
この時の洋服は「占領軍ファッション」として流行しました。
女性の洋装が定着したのは、戦後の話です。
祖母の夢
私が着物に憧れたのは、
着物がなかなか着る機会のない「非日常」の衣装だからなのかもしれません。
一方、
戦前生まれの祖母の夢は「帽子デザイナー」になることでした。
当たり前にみんなが着物を着ていた時代、
海外(主にアメリカ)から飛行機で帰ってくる人々はみな、お洒落な帽子を被っていて、帽子に強い憧れを抱いたそうです。
手に届かないものへの憧れ。。。
着物が大好きなことに変わりありませんが
毎日きものを着たい!!という強い気持ちが無くなったのは、
夢が叶った(いつでも着物が着れる状態)になったからなのかな。と思っています。
毎日ではありませんが、着物を着ることもあります。
いつものスーパーへの道も、着物だと楽しくて仕方ありません。
みんなが着物を着ていたら、私はこんなに着物好きだったのかな?
久しぶりに、まだまだ元気な祖母に会いに行こうと思います。
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