着物で大江戸散策②銀座

おでかけ

着物で大江戸散策パート2です。

今日は銀座をご案内したいと思います。

連日の暑さなので、

着物でお出かけには厳しいですが、

暑さをおしゃれで吹き飛ばしましょう(笑)

 

銀座は江戸時代まで、

丸の内から日比谷にかけて存在した、

入江にある砂州でした。

隅田川から運ばれてきた砂州は江戸前島と呼ばれ、

その先端に銀座がありました。

江戸時代になり徳川幕府が政権を握ると埋め立てられ、

商業の中心地である日本橋近くで、

銀の鋳造や鑑定をする場所として発展しました。

江戸時代の鋳造所としての銀座については、

詳細は以前書いた

「着物で大江戸散策①日本橋・室町」

にも書いていますのでぜひ見てください。

 

銀の鋳造場所としての銀座はの転機は、

明治維新後の銀座の大部分が焼失した、

大火事によって訪れました。

それによって火事が多かった東京を、

燃えにくい都市にするために、

レンガ造りの銀座煉瓦街が作られました。

また当時の経済の中心であった日本橋と、

横浜~新橋を結ぶ鉄道の終点である新橋の間にある銀座を、

文明開化の象徴とする考えがあったとされます。

 

おしゃれな街としての銀座

 

新しく生まれ変わった銀座の特徴は、

小売店が多く生まれたことと、

下町にありながら銀座の顧客の多くは、

山の手(番町、市谷、赤坂、麻布など)の、

華族などの特権階級や、

増えてきた中産階級・ホワイトカラーの人々だったことです。

そした日本の急速な近代化によって、

中産階級・ホワイトカラーが増加し、

それに伴って銀座は急速に発展していきました。

 

銀座の急速な発展により、

横浜の呉服屋であった松屋や、

日本橋の三越・京都の鳩居堂などが銀座に出店しました。

そして同時に現在も続く名店が数多く生まれました。

銀座の象徴の時計台がある和光(セイコーホールディングス )は、

前身である服部時計店として銀座で創業しました。

資生堂は資生堂薬局として銀座に創業しました。

以来国内シェア1位の化粧品メーカーとして君臨しています。

運営する資生堂パーラーは、

西洋料理の草分けとして銀座のシンボルとなっています。

公示地価で1平方メートル4010万円・

日本一土地が高い場所として有名な、

山野楽器も銀座に生まれました。

1平方メートルで4千万円ということは、

なんと1坪で1億3000万円以上です。

アベノミクスや中国人の爆買いで、

銀座の土地は過去最高を記録しています。

 

まだまだ銀座の見どころは盛りだくさんですが、

沢山ありすぎて書ききれません・・・

自分なりの銀座を発見してください。

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