以前、夫に手紙を書いていることをブログで紹介したのですが→https://kimono-agent.site/2015/11/03/post-256/
友人や親とも、文字のやり取りをしています。
燃やしてほしい
大学時代の友人とやりとりした手紙が大量に出てきました。
お互いの誕生日のお祝い、悩みの相談にのってくれたお礼、就職活動中の奮闘の様子などなど。
過ぎ去ってしまえば忘れてしまうような些細な事でも
手紙に残されていると、温かい気持ちで思い出すことができます。
文字や文章の構成にも成長が見られて、
手紙として残しておいて良かったな、と思いました。
ただ、私自身が書いた手紙が彼女の元にあると思うと
枕に顔を埋めて耳を覆いたいような、恥ずかしい気持ちになります。。。
今でもこんなに未熟な人間なのに、
未熟な自覚もない10代の私は、一体どんな手紙を渡したんだろう。
ちなみに、私の友人がくれた手紙には
思いやりと、将来への希望と、私への励ましで溢れていました。
今でも毎月のように会うのですが、改めて、彼女の存在に感謝です。
この手紙は一生の宝ですが、
私が渡した手紙は、いつか燃やして欲しいと思っています笑
燃やしてほしい2
小学校3年生の頃から高校卒業までの10年間、母と交換日記をしていました。
学校で交換日記が流行っていたので、
なんとなく始めました。
(お友達との交換日記は、どれも半年も続かずに自然消滅しました。)
内容は、たわいもないことです。
「遠足が楽しみ」などの学校のことだったり
「ママはパートを始めます」といった業務連絡だったり。
会話は多い方だったので、
らくがき帳のような、備忘録のような役割を果たしていました。
犬のフンを踏んだことを揶揄したり、
旅行先で父が迷子になったことを面白がったり。。。
家族の恥が面白おかしく綴られたノートでもあります。
先日、その日記帳が押入れから出てきました。
私も母も、恥ずかしさでその日記帳を直視することができませんでした。
捨てられない宝物なのですが。
「このノートは、死んだら棺桶に入れて欲しい。」
母の、唯一の遺言です笑
書く内容ではなく、そのモノ自体に価値があります。
これからも、燃やしてほしい手紙を書き続けようと思っています。
(燃やしてほしいような内容の文章しか書けないのが問題なのですが。)
コメント